高砂忠物語

統制時代は検査指導員として歩き回る戦後、石巻の地で「高砂長寿味噌本舗」として醸造業を復興させた創業者・高砂忠。昭和25年までの味噌の統制時代には、家業の醸造業を中断して味噌醸造の検査指導員としての役割をはたし、味噌業界全体に貢献しました。 大豆麹を加える新しい味噌づくりいつも人と違うものをつくりたいと思っていた忠は、味噌づくりに新しい発想を思いつきました。高砂長寿味噌の特徴は、米麹のほかに大豆麹を加えていること。その原点になったつくり方を始めたのが忠でした。
仕事の前に納豆を食べるな味噌づくりとは、麹の管理だ。それが、味噌づくりに対する高砂忠の考え方でした。そのため蔵人は納豆を食べることを禁じられていました。蔵の中や麹に雑菌が混入することを防ぐためでした。 九忠さんと呼ばれた親しみの味噌屋おいしい味噌づくりに励んだ高砂忠でしたが、お客さまやまた農家や問屋と接することを大切にしていた人でした。忠の名をで囲んで、「まるちゅうさん」と呼ばれて、親しまれていました。
頑固一徹る志しで向き合う高砂忠の味噌づくりへの情熱は非常に強いものでした。いい味噌をつくりたい、喜んでもらえる味噌をつくりたいという一心でした。なにごとにつけ、誠実に、信念を曲げずに、物事に向き合っていました。 蔵の壁や床は白くしておけもうひとつ高砂忠の味噌づくりで、とくに厳しかったのは「味噌蔵をきれいに」ということでした。つまり衛生管理。だから蔵は白っぽい色や木を使い、汚れが出たらすぐ見えるよう気をつけていました。